bunq2005-01-29


駅の近くで夫と昼食。家でもこの容器で作って食べられればきっと嬉しいけど、わざわざ買うとなるとちょっとね…。などと話しつつ、ペタペタとしゃもじを動かす。これっていかにも日なたの味だよな、などと思いながら箸を口に運び「釜飯用のあのおままごとのようなセットなら家族全員分あるよ。我が家ではしょっちゅう使ってるよ」なんて人といつか出会ったら、私はきっとその人を好きになるだろうな。なんてこともふと思う。釜飯屋っていつ行っても若者率が異常に低いというかそれなりの年齢を重ねた人がやたら多いというか、極めて個人的な感傷としても老いてからの父親が好きだったよなぁというイメージが強かったりもするのだが、独特のテンションの低さとのんびり具合がなんともたまらないよな。と、どうにも愛おしく思えるときがある。てゆーか、そもそも炊き込みご飯との明確な違いって何なのだろうか。

…ということで調べてみたら、以下のようなことであるらしい。

きっかけは、実は関東大震災なのだという。大正12年9月1日、午前11時58分。関東一帯をマグニチュード7.9の地震が襲った。死者9万1000人。行方不明1万3000人。被害世帯は69万にも及んだ。浅草の被害も甚大で、上野の山には多くの被災者が避難していた。この時、焼け残った釜とあり合せの米や野菜を利用して、炊き出しが行なわれた。家財を一瞬で失った人々にとって、その炊き出しの味は空腹と傷心を満たす、細やかだが確かな希望だったことは想像に難しくない。それをヒントに釜飯を考案したのが、震災前には定食屋を営んでいた、初代女将の矢野テルだった。

斬新だったのは、一人前分ごとに小さな釜で提供するスタイルを確立したことだ。このアイデアで非常食生れの庶民的な炊き出しは、手軽だが洒落た一品へと生まれ変わった。こうして小さな釜を利用した炊き込みご飯=釜飯は、浅草から全国へと広まっていったのである。


釜飯物語より

そうだったのか。と、ちょっと複雑な気持ちにもなった。ともあれ近所なわけだしいつか行ってみよう。とも思った。そしてそのときは、これはたくさんの悲しみがあった後に、そのときの体験をもとに考案されたものなのだ、ということを忘れずに食べよう。と思った。子どもの頃のママレンジシリーズなどを思い出すよね、おままごとみたいで楽しいよね、といったことだけではなく。