■
最近とんと記していなかったので、こちらも久々に書きとめてみる。よ。
夫とふたりで散歩しつつ喫茶店を物色。螺旋階段のようなものがついた丸い透明な建物(まるで巨大なコーヒーサイフォンのようだった)の二階にある店に入ることにする。喫茶店(喫茶スペース?)の階段沿いには、別経営らしい雑貨屋がある。台所用の洗剤が切れていたことを思い出し、ついでに購入しようとなる。階段沿いの壁に並んでいるボトルはどうやらサンプルのようなので、少し奧(いま考えれば球体ではなくなってしまうのでありえないのだが、なぜかその時は不思議に思わなかった)にいる店員に声をかける。店員は私の話を聞くと再び奧に引っ込み、頼んだものではない、より大きな他のボトルを持ってくる。これは違うものだなぁ、しかもいつものものよりずっと高いなぁ、と思いつつも、めんどうなのでそれを買うことにする。だが財布の中を見てみると、わずかな小銭しか入っていない。ああ、そう言えば先ほど使ってしまったなぁ、ということを急に思い出す。離れた場所(階段の上方)で逆光を受けつつ立っている夫に声をかけ、お金が足りない旨を告げる。自分も持ち合わせはあまりないが、と財布ごと投げてよこす彼。人に向かってモノを投げちゃダメだよ、と文句を言いつつそれを受けとめる。レジ脇の少し奥まったところに戻り、その財布から支払いを終わらせようとする。と、店員の様子がいきなりおかしくなる。なにか叫びながら飛びかかってきて、両手で首を絞めてくる。ギリギリギリギリ締めあげられる。息ができない。苦しい。もうだめだと思ったとき、どうしたのかと夫が階段を下りてくる気配がする。なにごともなかったかのように、無表情に手を離す店員。
■
寝しなに「昨日の続き」を読んでいたら、興味深い箇所に行きあたった。前項にあった(マレーシア国花としての)花そのものの説明書きを含め、せっかくなので写しておきたい。
ブッソウゲ Hibiscus rosa-sinensis
原産:不明。雑種起源と思われ、古くから東南アジアや中国南部に分布。常緑低木。
開花期:周年だが日本の戸外では夏から秋。
枝は直線的に伸び、伸びるにつれて花を咲かせる。花は赤、ピンク、黄色などで大きく、各節に一花ずつつく。一日花である。中国語の扶桑花あるいは仏桑花に基づく和名です。これが中心になって品種改良され、日本でもなじみ深い現在のハイビスカスがうまれました。品種改良を進めたハワイの花として知られていますが、東南アジア各地で広く栽培されています。
(「世界の国花:妻鹿加年雄」より)
同時に掲載されている写真を見る限りでは、現在のハイビスカスとの違いはよくわからない…。若干地味?
ブッソウゲ
いまどきブッソウゲそのものを見ることは、まずなくなりました。目にするのはほとんどすべて、ハワイアン・ハイビスカスと思っていいでしょう。現地でアカバーナと呼んでいる沖縄のハイビスカスで、うつむいてぶら下がって咲いているのはフウリンブッソウゲです。ブッソウゲとは別種で、ハワイアン・ハイビスカスの先祖のひとつです。
そもそもブッソウゲが自然雑種らしく、いま観光地として人気を集めているモーリシャス島のユリザキブッソウゲが、他のインド洋地方の種類と雑種になったものと考えられています。
仏桑花あるいは扶桑花と呼ばれて、中国ではすでに明代には栽培されていました。ハワイに渡ったのはやっと十九世紀初頭です。琉球を経て日本に入ってきたのが徳川家康の時代ですから、地理的にも政治的にも当然ですが、ハワイにはいるのはかなり遅かったわけです。それから今日まで百年の間に、いろんな近縁種との交雑が繰り返されて、いまのハワアイアン・ハイビスカスができました。
(同「世界の国花」より)
とゆーわけで、家康が江戸を開いたのが1603年なので、若冲(1716 - 1800)の生没年を考えると、彼の生きていた時代にはすでにハイビカスは日本に定着していた、ということになるようだ。花のイメージから勝手に「けっこう遅い時代になってから」広まった花なのではないかと思っていたので、ちょっと驚き。ちなみにチューリップ(鬱金香)が日本に入ってきたのは文久年間(1861 - 1864)とされているので、ハイビスカスよりもずっと後になって広まった花だということになる。それぞれの花の「いつから日本に?」をわかりやすく年表にしてみたりすると、けっこうおもしろいかもしれない。
■
ヒマワリ
インカの花です。太陽の神様も、神に仕える処女の髪や胸にも、黄金のヒマワリが輝いていました。インカを滅ぼしたスペインは、黄金を持って帰りましたが、ヒマワリもヨーロッパにもたらしました。
ヨーロッパの人々には、花の珍しさもさることながら、新しく発見された大陸の花という魅力があったのでしょう。あっという間に広まったのです。十六世紀にヨーロッパにはいったのが、将軍綱吉時代以前には日本にもはいっています。ゴッホが例の有名な絵を描くよりもほとんど百年近く前、ロシアが樺太や択捉島に進入したころに、伊藤若冲がヒマワリの天井画を描き残しています。
(「世界の国花:妻鹿加年雄」より)
2月の初めに京都へ行った際、石峰寺を訪れ若冲の五百羅漢を見た。それが予想以上におもしろく素晴らしかったので、思わず彼の墓前(同寺の一角にひっそりとあった)で熱心に手を合わせ、素晴らしいものをありがとう!とおおいに感謝して帰ってきた。以来、若冲という名を見かけるとなんとなく心がときめく。けれどそうかと言って、彼の他の作品等についてはよく知らない。だからid:Joetipさんのこの日の日記などはとりわけ興味深く、ひじょうにおもしろかった。てゆーか、心底うらやましかった。バーチャルなんたらも、私のみかんちゃんでは見ることができなかった…。なんてことはともかくとして。幼いころの記憶から、ヒマワリというとどうしても斬首を連想してしまいがちだったりもするのだが、なのでそこまで熱狂的には愛せない花であったりもするのだが、それでも若冲の描いた向日葵の絵ならば、いつか見てみたいものだ。と思った。
■
祭のための宿題として出されていた「フィリピンに関するクイズ」をいくつか考えてみた。昨日のうちに図書館から使えそうな資料を集めてはきていたのだが、いざクイズにするとなると難しくけっこう悩む。せっかくなので一つくらい採用されるとよいのだが。だが。
フィリピンの珍しい食べもののひとつに、日本人には考えられませんが、「チャンポラード」というお粥状に炊いたやわらかいご飯にホットチョコレートをかける朝食があります。それだけならまだしも、なんとチャンポラードは、トゥヨ(tuyo)という塩のきいた干魚と一緒に食べてこそパーフェクトだというのです。
在日八年になる友人のジーンは、自他ともに認めるくらい料理をしません。その彼女が日本の食事にあきてつくるのがコーヒーかけご飯。
<中略>
このジーンとチャンポラード談義をしている最中、彼女が興味深い発言をしました。日本人が、ご飯にホットチョコレートやコーヒーをかけて食べるのを気味悪がるのはわかる。というのは、彼女たちにしてみれば、ご飯にお茶をかけて食べるという行為が想像を絶すること、なのだそうです。所変われば食べものに対する概念も変わるものです。
(「フィリピン家庭料理入門―おいしくさわやかハロハロクッキング:原田 瑠美」より)
ちなみにチャンポラードのスペルはCHAMPORADOであるらしい。これはコラム欄にあったものでレシピ自体は掲載されていなかったので(そして我が家にあった他のフィリピン料理に関する本にも掲載されていなかったので)、ネットで探してみることに。
…テレビ番組で紹介されたことがあるらしく、こんなページがあった。
【材料】
- もち米
- お水
- ココアパウダー
- 砂糖
- コンデンスミルク(練乳)
【作り方】
1、もち米を洗って水を入れ火にかける
2、お湯が沸騰したらココアを半カップ入れる
3、砂糖・コンデンスミルクはお好みで*甘いお粥です。
他の「世界の朝ご飯レシピ」もたいへん興味深かったので、明日もまだ覚えていたら番組もぜひ見てみよう。と思った。
てゆーか、ここにアップされていたチャンポラードの画像は正直かなりきつく、これはチョコレート好きとして(少なくとも私の中では)有名な女王だってお気に召さないのではないか、とさえ思った。私はおはぎ(ぼたもち)もなんだか不気味に思えて未だ口にできないのだが、なんとなくそれに近いものを感じるというか。これはまごうことなき偏見なので、もちろんよくないことではあるのだけど。
■
初めての町をぶらぶらしながら人に道を尋ね「そこのダイシ銀行の前を…」「え、ダイチ銀行? そんな名前の銀行この近くにあります?」「ダイチじゃなくてダイシよ。ほら、あそこよ」「あー、あれですか! ダイヨンかと思ってました!」なんて会話をしたことを、ATMの前でふと思い出した。
家に帰ってから母に確認してみたところ、遠くに住む従妹がかつて働いていたのも「数字が名前となっている銀行」だった。そのような「数字名の銀行」はけっこう多いものなのだろうか。興味がわいたのでさっそく検索してみた。
ありがたいことに、自分でちまちま調べるまでもなくあちこちにわかりやすい一覧がアップされていた。たとえばここだ。このサイトにあった説明によると
「旧国立銀行」
※明治5年にアメリカにならって銀行制度を導入した後に作られた銀行のこと。
※「国立」という名称であったが、これは単に「ナショナル・バンク」の訳で、実際には民間銀行だった。
とのことで、当時は「第一銀行」から「第百五十三銀行」まであったようだ。また、いまだにその時の「数字」を使い続けているのは、すでに「第四、(第)十六、(第)十八、(第)七十七、(第)百五、(第)百十四」銀行の6行だけなのだ、ということもわかった。一つ一つ丹念に見てゆくとおぼろに統廃合の轍を追うこともでき、なかなかおもしろい。てゆーか、読み方はそのまま「じゅうろく、じゅうはち、ななじゅうなな、ひゃくご、ひゃくじゅうし」でよいのだろうかと、「第四=だいし(NOT だいよん)」の件もあるのでいささか不安にもなる。固有名詞に限らず、先日まで居丈高のこともイジョウダカだと誤読していたくらい、私は漢字の読みにてんで弱いからだ。
なんてことはともかく、そんな中でもちょっと気になったのが「八十二銀行」の存在だ。
たとえば岐阜の「第百二十八銀行」は、同県の「第十六銀行」と統合された結果として現在は「十六銀行」になったのね。といったパターンなら推察もたいして難くはない。「第八十三銀行」が現在では 「百五銀行」なのも、「第七十一銀行」と「第百三十九銀行」が現在では「第四銀行」なのも、理由は容易に察しがつく。
けれど「八十二銀行」はどうも謎だ。なぜなら
「第十九銀行(長野)」が「八十二銀行」に、「第六十三銀行(新潟)」も「八十二銀行」に、「第百十七銀行(長野)」も「八十二銀行」に
となっている一方、
もともと「八十二」を名乗っていた鳥取の「第八十二銀行」は、「富士銀行」の時代を経て現在では「みずほ銀行」となっているからだ。つまり、この「(元祖)八十二銀行」は、「(現)八十二銀行」には関わっていないように見受けられるのだ。だいたい(現)がすべて甲信越に根ざしているのに対して、(元祖)の方は中国地方が地元となっている。というのも不思議と言えば不思議だ。鳥取というと個人的には「水木しげる」というイメージが強いこともあり、なんとなく目眩ましにあったような気さえしてくる。
この4行には、いったいどんな歴史があったのだろう。どうしても知りたい!というほどではないが、なんとなく気になるといえば気になる。眠れない、と言うほどではないが、なんとなーく気になるような気もする。
■
個人的には「オズシリーズの挿し絵といえば新井苑子だよね!」なのだが、堀内誠一のものも悪くない。てゆーか、ぐるんぱ育ちということもあって、彼の絵はたいへん好きだ。テニエルのアリスのように「決定的な定番」があるのもよいけど、アンやドロシーのように「人によってさまざまなのかもね」というのも、それはそれで楽しいなぁ。と、ページをぱらぱら繰りつつ思う。
画像があるものを片っ端からリンクしてみたけど、新井苑子のものはなかった…。しょんぼり。てゆーか、飯野和好(だと思う)のものがあまりに独創的でたのし過ぎ。翻訳してる人もバラエティに富んでるようで、それも見ていてワクワク。あと、以前MさんがMGM映画についてのコメントで「魔法使いの<い>がないのが気になる…」と邦題について語っていて笑ったのだけど、こんなふうにずらりと並べて見てみると確かに気になるナー。と思った。うんうん、確かにとっても気になるよね、と。
わーい、米国版はキリがないよー(幸福感に包まれつつ)。