bunq2004-12-12


ここ何年か、上野動物園にぶらりと立ち寄ることがあってもいつも東園だけ(てゆーか慰霊碑とパンダとゴリラとトラのみ)で帰ってきてしまっていたので、今回は久々にイソップ橋を渡ってみることにする。道中にいる象たちを目にしたときは、エノケンの『「動物園物語」より 象』を思いだし妙に感慨深くなる。思えばニホンザルたちやヒヒ類たちをのんびりながめたのも、久しぶりだったのかもしれない。のんきそうなラマの愛くるしさになごんだり、それはそれは美しいフラミンゴたちにうっとりしたり、いっせいにガツガツとキャベツの玉をつっつきだすエミューたちに(筒井康隆のダチョウを思いだし)ぞっとしたり。せかせかと動き回るサイと、その様子を柵越しにながめているキリンたちという構図も実におかしかった。コビトカバがあれほど人気者だということも知らなかったし、ペンギンはあいかわらず抜群のアイドル性を誇っていた。園内のあちこちで芳香を漂わす濃い赤紫と白のストックも、思わず立ち止まってはくんくんとかがみ込んでしまうほど嬉しかった。でも何よりも心を動かされたのは、オランウータンの「モリーさん」に関することだった。彼女はゴリラの森に隣接したところ(今は確かクモザルがいるような)にいたこともあったが長いこと見かけなかったので、チンプとともに多摩に移されたのだろうと勝手に思いこんでいた。ところがそれは間違いで、彼女はまだ上野で暮らしていて、かつ、いつのまにか画伯にまでなっていた。モノレール脇のズーポケットで催されていた『モリーさんの世界へようこそ!』展の入口には、こう書かれてあった。

モリーさんの絵画展によせて

上野動物園長 小宮 輝之


 オランウータンのモリーさんは上野動物園でも一、二を争う長寿動物で、今年52歳になります。モリーさんは3歳のときに上野にやって来て、もう49年も上野で暮らしています。戦後はじめて日本の動物園で飼われたオランウータンであり、上野動物園ではじめて長期飼育に成功したオランウータンでもあるのです。モリーさんは翌年やって来たタローとつがいになり、昭和36年に初子を産み、日本ではじめてのお母さんオランウータンになったのです。モリーさんは日本の動物園のオランウータン史を塗り変えてきた輝かしい存在なのです。
 すでにタローも初子も亡くなり、モリーさんは一人ぼっちの余生をおくっています。こんなモリーさんに少しでも豊かな老後をおくってもらおうと、いろいろな遊び道具を考えてきました。ある日、飼育係の深谷さんはモリーさんに画用紙とクレヨンを渡しました。深谷さんが絵を描いてみせると、モリーさんも見様見真似で絵を描くようになりました。モリーさんの創作意欲はますます旺盛で、今モリーさんを世話している土屋さんと廣瀬さんは、今日はどんな作品を渡されるのかと、楽しみな毎日です。


平成16年10月8日

ちなみにモリーさんの左目はほとんど見えないそうで、右目も指でまぶたを押し上げないことにはものを見ることができないらしい。また、子どもは「初子」以外にも、「さぶ」、「敬太」、「つくも」と他に3頭いるとあった。彼女の作品や描いている様子を撮影したビデオ、彼女のお気に入りの日用品などとともに、来園当時の幼き日の写真パネルやズーストック計画に関する説明なども飾られていて、なかなか充実した展示となっていた。

絵を描きだしたきっかけ等については以下のような説明書きもあったが、帰宅してから見たこちらの方がより詳しかった。また、肝心の作品そのものに関しては、たとえばタイで活躍する象などと比べるとちょっと稚拙に見えなくもないが、「人間の手は加わっていません」といった雰囲気は濃厚でそれは素晴らしいことだと思った。作品ごとにつけられたタイトルや解説*1も凝っていて(まー、これは人間による後付けでしかないわけだが)、なかなか洒落ごころがあってたのしかった。

モリー画伯誕生!!


 類人猿は人間が想像するより遙かに高い知能を持っていると言われています。道具を使うチンパンジーや簡単な言語を理解するゴリラが紹介される例がありますが、それはオランウータンにもあてはまります。
 ここ上野動物園のオランウータン「モリーさん」も「知恵者」と言ってもいいかもしれません。すでに半生記近くを動物園で暮らし、その間に何人もの飼育担当者から数々の「技(業)」を盗んできたようです。それは、タオルや雑巾を水に浸して絞ったり、顔や手足、果ては床まで拭いたりする仕草から想像することができます。新聞や雑誌を見るそぶりなどは、きっと休憩中の「相棒」を横目で見ていたのでしょう。
 そんな「モリーさん」の行動をヒントに、2年前、飼育係が絵を描く姿を見せてみました。そして、紙と赤い色鉛筆を渡してみました。すると、3日目には色鉛筆を取り、4日目には紙に描き始めました。「モリー画伯誕生」の瞬間です。
 現在の画材は、食べても無害な子ども用クレヨンです。5,6色渡すとそのときの気分で色を選びます。初めのうちは力強いタッチが多かったのですが、最近は繊細な筆使いになってきました。
 いよいよ芸術の秋、「モリーさん」の創作意欲もかき立てられるでしょうか。
 ただしなにぶんにも高齢、現在は気ままな余生を「なすがまま」にしています。アトリエの「モリーさん」会えなくても彼女に免じて許してくださいね。

とゆーわけでこれらの展示だけでも十分に満足できたのだが、中でも涙がでそうになったのは以下の手紙を拡大したパネルだった。客からの「なぜモリーさんだけがズーストック計画から外され、あのような狭い檻に一人でいるのか?」という質問への回答なのだが、満足げに絵を描くモリーさんの映像やその作品群を見た直後だったということもあり、たまらなくしんみりとした気持ちになった。

前略
 
 貴重なご意見をお寄せいただき、誠にありがとうございます。
 なぜ、このオランウータンは1頭で、しかも狭い檻に入れられているのかというご質問ですが、その前にこの「モリーさん」について少し説明する必要があると思います。
 モリーさんは1952年にインドネシアで生まれ、1955年11月に上野動物園に来ました。その後、これまでに4頭の子宝に恵まれました。本来なら東京都が推進する「ズーストック計画」に基づいて、オランウータンの飼育担当園である多摩動物公園に移動することを考えなければいけないのですが、なにぶんにも、人間でいえば70歳(注:1982年当時)を越える高齢であり、到底子供を生める年齢ではありません。また、他のオランウータンのいる新しい環境や輸送に伴うストレスも高齢のモリーさんには計り知れない負担となります。
 私たちはいろいろと悩み、検討した結果、モリーさんだけは上野動物園に残ってもらうことにしました。モリーさんは一時、多くのゴリラがいる新しいゴリラ舎の一角に住んだこともあるのですが、野生では密林で単独で暮らしているオランウータンにとっては肉体的、精神的な負担を与える結果となってしまいました。
 私たちは再度、モリーさんにとってどのような環境が望ましいのか検討した結果、狭いけれども落ち着いて暮らせる現在の場所が良いだろうとの結論に達し、1996年に引っ越してきました。私たち飼育担当の職員が最大限にモリーさんのケアにあたることが前提ですが・・・
 ここに住まいを移して年月も経過しましたが、幸いにも病気らしい病気もせずに元気に暮らしています。確かに現在の場所は、他の新しい施設とは比べものにならないほど狭いところです。
けれども大切なのは、どれだけ立派なところに住んでいるかではなく、そこに生活している動物がどれだけ幸せかということではないかと思います。
 現在のモリーさんは、他のどこで暮らすよりも幸せであると私は確信しています。冬の間はさすがに寒さがこたえるようで室内にいることが多いのですが、その(ママ)以外の季節には外にいる時間も多いようです。
 モリーさんを見かけましたら「モリーさん」と声をかけて励ましてください。機嫌の良いときはムックリと起きて近くに寄ってくるかもしれません。
 モリーさんが1年でもいや1日でも長く生きてくれるよう精一杯努力するつもりです。
 長々と手紙を書いてしまいましたが、私たちとモリーさんの立場をご理解いただけたでしょうか。
 どうぞ、かわいそうという目ではなく、温かい目でこれからもモリーさんを見守っていてください。


1998年5月3日

上野動物園 飼育課西園飼育係 飼育担当


結局モリーさんそのものには(あまりの寒さゆえ引きこもっていたようで)お目にかかれはしなかったわけだが、正直それはたいして残念なこととは思えなかった。飼育係の気持ちがすっかり乗りうつってきてしまっていたとでもいうのか、「オランウータンは見れないの?」とダダをこねる周囲の子どもたちの憔悴感などもう心の底からどうでもよく思え、「私たちのことなんてまったく気にする必要はないから、とにかくあったかくしてのびのびやっててください」と思った。そして、いつまでもいつまでも長生きしてください。と思った。

*1:たとえば『空白の寓意』と名付けられた絵には「モリーの芸術は、心の赴くままに色をおいているように思えますね。でも、それを実証することはできません。ですから、この絵に見られる大きな空白も、実はモリーの真実が隠されているのかもしれません。」という解説が付されている。